あとがき
2005/07/05作成
2006/04/04改訂


1998年のある日。まだ少年ジャンプを読んでいた頃、ふと「封神演義」という作品が気になりました。
それまでは、まじめに読んでいませんでしたが、単行本をそろえて読んでみると、おもしろさにはまってしまいました。

しかし、その後、掲載順が一番最後になる週が多くなってしまいました。
これは、少年ジャンプでは、作品打ち切り寸前であると言うことを意味します。

こんなおもしろい作品を打ち切りなんて、、、、それだけはなんとしても避けたかった私は、微力ながら、このコーナー「がんばれ!ぼくらの太公望」を立ち上げました。

タイトルは、打ち切りの危機から這い上がるため、激励を込めて名付けました。

「封神」の弱点と思われる、キャラクターの多さを補うため、キャラクター解説というコンセプトで進めていきました。

ジャンプを購入したら、すぐキャラクターの解説のためにサイト更新する。
連載中は、毎週更新していました。
九州などでは、ジャンプが本当に火曜日に発売になるので、それを考慮して月曜日の更新では「速報版」という形態も取りました。

そして、他の封神ファンサイトが連立していることを知り、ファンが私の他にも多いことを知りました。
これは私にも励みになり、深夜までかかっていた更新作業の励みになりました。

それが功を奏したのか、ついにファンの要望の到達点の一つであるアニメ化が実現いたしました。
アニメの内容については、大きく疑問を持つのが正直なところですが、多く発売されたキャラクターグッズなどは、封神ファンであった私を満足させるものでした。

個人的にはこの間、入院や、退職・長期休養それにともなう帰郷を余儀なくされた事もありましたが、封神が支持され、物語を無事にきれいに完結されたのは、ずいぶん私自身も励まされました。

連載完了時に、作者の藤崎竜(フジリュー)先生は
>読者の皆さんの応援&スタッフの力のおかげで、何とか物語を全うすることが出きました。
>感謝してます。また誌面で会いましょう。
(週刊少年ジャンプ 2000年47号・・・最終回掲載号の作者コメントより)
こんなコメントを残しています。
ファン冥利に尽きるものです。

連載終了とともに、このコーナーの定期更新も終了、長い休眠期間に入り、たくさんあったファンサイトもずいぶん少なくなってしまいましたが、最近(2005年6月)になって、「封神演義完全版」の発売、「封神演義ドットコム」の開設があり、これを機に長い休眠状態だった、うちを含む封神サイトも活気を取り戻してきました。

こういう、個人的にも思い出の深い、「封神演義」がこれを機に、もっといろんな人に読まれ、封神ファンが一人でも多くなればいいと思っています。




・・・では、それぞれのメイキングを

掲載キャラクタの基準と数

このサイトでは、全キャラクタの掲載を目指し、名前のあるキャラ全て、名前だけのキャラも全て、そして名無しのキャラも封神されたキャラは全て掲載しています。
ただし、それ以外の名無しのキャラは、私の独断で掲載を決めています。
「ピアノのおねいさん」(趙公明のバックで1コマだけ登場したキャラ 第10巻 P62)があって、「紂王を包丁で刺した母親」(第19巻 P176)がないのはそのためです。(このキャラも気まぐれで入れるかもしれないが。)

また、掲載キャラクタの数なのですが、「殷の兵隊」「マドンナ落下の巻き添えで封神された金鰲の人たち」などの様に、名無しで人数が特定しづらいキャラは一つにまとめています。

あと、太公望は2つ、妲己は3つ(ソバカス顔の妲己オリジナルも入れると4つ)に分けて解説していますし、一覧表・封神者リストに限れば王天君を3つに分けています。

それを踏まえた上でキャラの数を数えると全部で220、封神者は71(王天君は3つとしてカウント)あります。チェックしてないがたぶんこんなんでしょう。我ながらよく書いたもんだと思うと同時に、フジリュー先生の苦労がしのばれます。
(異説封神演義のを含めるとキャラの数は232になります。)

タイトル

イメージとしては、スーパー戦隊シリーズのもので、このサイトのイメージとぴったりだと思っています。
なお、「太公望」の部分は、EXCELで大枠を作り、Photoshop Elements 3.0で形を傾斜させ、またEXCELへ持って行き影を作って、再度Photoshop Elements3.0で着色したという作り方にしています。
(既存のロゴ作成ソフトで使えるものがなかった、、、)

「四不象」こと700系新幹線

あの写真は、どこかからの拾いものと思われる人もいると思いますが、実は私が撮影しました。

名古屋市緑区のはずれぐらいの東海道新幹線の掘り割りの橋の真上から撮りました。
このあたりだと、時速270キロのフルスピードを出しているんじゃないかと思います。
そんな列車の真上から撮影したので、なかなかタイミングが合わす、結構失敗写真ができてしまいました。
銀塩フィルムだったので、コストが結構かかったですね。

↓失敗写真の一部


なお、このころはまだ100系も元気でしたね。


参考資料