冬木透氏の経歴
2005/11/27改訂


冬木透(ふゆき・とおる) 本名 蒔田尚昊(まいた・しょうこう)

1935年3月13日 旧満州・新京(現中国東北部・長春)に医師の息子として生まれる。
幼少の頃から音楽に強い関心を抱く。
満州引き揚げ後、広島のエリザベート音楽短期大学・作曲科卒業 同・宗教音楽専攻科終了。その後国立(くにたち)音楽大学作曲科に編入し市場幸介氏の師事を受ける。この時期にTBSに入社し効果の仕事に携わる。

この1956年に「鞍馬天狗」にて作曲家としてもデビュー。「冬木透」のペンネームはこの時に名乗るようになった。ちなみに「冬木」は「柊」からとった。
作風はクラシックを基本とするが、ジャズの要素もあり、さらには効果マン時代に培った高い音効のセンスが特徴の作曲家である。

その後「ただいま11人」「レモンのような女」を担当し、TBS退職後も「鳩子の海」などの劇音楽をつくりあげた。
中でも「ウルトラセブン」以降、数多くの円谷プロ作品の劇音楽の担当をつとめ、同社の音楽イメージを作り上げた功績は大きい。
劇音楽のほかにも、純音楽の「黙示録による幻想曲」の作曲や、童謡の編曲なども手がける。

また、本名の「蒔田尚昊」名義での作曲活動もあり、「ハーモニーの輪」や、キリスト教徒に歌い親しまれている「ガリラヤの風かおる丘で」などの合唱曲や、校歌などの作曲などがある。

作曲活動の傍ら、TBS退職後に音楽大学で有名な桐朋(とうほう)学園大学で教鞭を執り、最終的には教授にまでなり、その後退官した。

最近でも、「ウルトラマンマックス」に音楽を提供しており、健在ぶりをアピールしている。